第38回全国都市緑化熊本フェアーが3月19日~5月22日まで開催されています。熊本面白倶楽部にも花博の実行委員会からイベント開催の依頼がありました。熊本面白倶楽部の担当イベントは江津湖フットパスです。フットパスとフットサルとは似ていますが、関係はありません。フットパスは思い思いのペースでぶらぶら歩くことです。水前寺江津湖公園は広い公園でかつ湧水がありますので、散策には持って来いの場所です。ぞうさんすべり台(ゾウさんプール)のところで、参加者にハート形の航空写真をみせている画像です。なんとなんと、ゾウさんプールの池はハート形をしているのです。その発見者は熊本面白倶楽部の永田です。


阿蘇に降った雨等が20年後に江津湖に湧いていると言われています。20年間地中で磨かれた伏流水はミネラル分をバランス良く含んだ大変に美味しい水です。なぜ、熊本の水は美味しいのか、それには阿蘇溶岩と砥川溶岩が深く関わっています。阿蘇と清正公等の先人のおかげで熊本地域は日本一の地下水都市になりました。しかしながら、阿蘇地方に大雨が降り白川は洪水被害がたまに発生します。

ここは、県立図書館の南にある芭蕉園です。芭蕉という植物は寒さに弱いので冬の葉っぱは茶色に枯れてしまいます。芭蕉園は春~秋にかけて青々となり素晴らしい空間になります。芭蕉の仲間には3種類あるといわれています。バナナを収穫する実芭蕉、芭蕉布の原料になる糸芭蕉。それに花芭蕉です。江津湖にある芭蕉は、全部花芭蕉です。6mを超えるものもありますが、樹木ではなく植物になります。植物からか、寿命は短いです。夏目漱石は芭蕉が大好きだったと言われています。熊本市の北千反畑町の第六旧居にも終の棲家の漱石山房(東京新宿区)にも芭蕉が植えてありました。


 

令和3年12月12日に益城町の震災遺構と水前寺のり養殖場をマイカーで巡るイベントを行った。参加者はスタッフも入れて23名。マイカーは14台、全車に赤いリボンをつけていただいた。スタートは益城町のミナテラス、ゴールもミナテラスである。最初に見学したのは、水前寺のりの養殖場である。養殖場の社長から、面白い話を聞くことが出来た。スイゼンジノリの成長は寒い時期より暖かい時期が成長が早いようである。のりは江戸時代、幕府への献上品であった。このノリは養殖が非常に難しく、日本では三ヶ所(福岡の朝倉市、益城、嘉島)だけである。もともとは食べ物として生産されてきたが、現在は色々な用途がでてきている。化粧品や肌着などに広く使用されている。

ここは、平成30年に国の天然記念物に認定された、谷川の地表地震断層である。益城では3カ所が天然記念物に認定されたが、谷川は極めて複雑な地表地震断層になっている。参加者がいるところが、隆起したところで、ガイドがいる北側が約70センチ盛り上がり、南側が40センチ盛り上がりました。北側は隆起と左横ずれを起こし、南側は隆起と右横ずれを起こした。そういうことで、谷川は、共役断層が発生したといわれている。


上の画像は堂園の地表地震断層である。ちょっと、わかりにくいが畦道がクランク状に曲がっている。画像は下が南で上が北である。北側が2メートル50センチの右横ずれ断層である。地表に断層が現れるためには凄まじい力(エネルギー)が作用しなければならない。堂園地区では建物が約7割倒壊したといわれている。


上の神木は地表地震断層の真上に立っていました。神木の根っこに凄まじい力が働き、木は一瞬に倒壊しました。震度7の破壊力は想像を絶する。わかりにくいが下の画像は根っこが縦になっている。根っこはいくつもの大石を抱いている。熊本地震から5年半たち神木は朽ち果ててきた。震災遺構の保存活用の難しさを感じる。

 

 

 

 


前回の春のフットパスは大変な雨でしたが、秋のフットパスは晴天になった。晴れで散策日和だったが暑かった。こういうイベントは11月がいいかもしれない。参加依頼が多く毎回、10名程度はお断りしなければならない。今回は久しぶりに水前寺公園参道からのスタートにした。参道入口には大きな石の鳥居があったが、熊本地震で壊れた。夜の地震で人的な被害はなかったようだ。石の鳥居は危険なので木造(ヒノキ)で10月完成した。建築場所は公園の入り口である。コロナが早く終息して水前寺公園の入園者が増えることを祈るばかりである。

上の写真は芭蕉林で多くの芭蕉が林立している。俳人の松尾芭蕉も芭蕉が好きだった。夏目漱石も芭蕉が好きだった。漱石は芭蕉の俳句をたくさんよんでいる。芭蕉に似た植物でバナナがある。バナナは食べるので実芭蕉ともいう。芭蕉布を取るのは糸芭蕉という。芭蕉布の価格は安いものから高いものなどいろいろである。

この木はクスノキで、県の木に指定されている。クスノキから樟脳ができる。葉っぱをもむといい香りがする。ここからゾウがいるところまで3.4キロある。江津湖は全体で日量、50万トン以上の湧水量があるので、夏は涼しくて冬は暖かいと言われている。


熊本城は日本三大名城の一つで、大変に広いお城です。熊本地震から5年以上経過しましたが、手付かずの櫓もあります。「奇跡の一本石垣は飯田丸五階櫓」が全国的に有名ですが、この戌亥櫓も「奇跡の一本石垣」です。平成28年の熊本地震で熊本城は二カ所の櫓で奇跡の一本石垣が出来たことになります。上の画像の戌亥櫓の石垣は本当に不安定な状態です。震度4ぐらいの地震で石垣も櫓も崩れ落ちるかもしれません。早い修理が望まれます。下の画像、本丸にある大天守閣も素晴らしいですが、二の丸周辺にある、崩れた石垣などをゆっくり散策されませんか。地震の凄さや恐さを感じることができます。三分の一の石垣を修理する必要があります。修理には長い長い時間がかかります。

大天守の南に設置された空中回廊から撮った写真です。一番高いのが天守閣です。天守閣の下に見えているのが、本丸御殿の茶室です。右側の高い石垣が二様の石垣です。右が清正公時代の石垣です。左が細川時代の石垣です。石垣の上に少し見えている屋根が本丸御殿です。本丸御殿も熊本地震で被害がありました。54億円かけて平成20年に完成した御殿に早く入れることを強くのぞみます。


上の特別見学通路(空中回廊)の床はヒノキ材で17億円の工事費用がかかりました。下の天守閣はなんとなんと86億円。空中回廊と天守閣で103億円です。令和の天守閣は地震に強い構造ですが、その地震に強い構造を見ることができるように建設されました。天守閣内部の展示資料も格段に充実しました。入口にある深い井戸は見ごたえ十分です。熊本城の深い井戸は見応え十分です。

戦国武将の加藤清正公が火の国、熊本に築いた城は規模の大きさ、堅い守り、見事な石垣で知られる日本屈指の名城である。天下分け目の関ヶ原の戦いは1600年の9月15日である。その一月後の清正書状に「黒田如水殿を熊本の新城でもてなすので完成を急げ」と指示している。関ヶ原合戦の時はこの大天守閣の新築工事は急ピッチで進んでいたようである。清正公の天守は大天守閣だけで小天守はつくらなかった。さて、熊本城がある茶臼山は約9万年前の阿蘇火山の火砕流堆積物で出来ている。城域は三つの川の浸食によって、高さ25m~45mの崖が形成され、天然の要害になっている。阿蘇から50キロの距離にある茶臼山であるが、阿蘇火砕流は新幹線なみの猛スピードで流れ下ったと言われている。阿蘇4の火砕流大噴火は9万年前の噴火である。

ここの水前寺公園参道付近が集合場所です。この付近に大きくて立派な鳥居がありましたが、熊本地震で壊れましたので撤去されました。公園に向かって、手前の右角は医院です。

「日本一の地下水都市熊本」のシンボル、代表は水前寺江津湖公園です。散策道は「水の国、水の都熊本」を五感で感じることができる最高のフットパスコースです。毎回大好評のイベント、水前寺江津湖公園フットパスで秋を満喫しませんか。参加の方はお早目にお電話ください。

日時 2021年10月9日 集合9時15分 発9時30分~着12時頃 解散

●集合場所   水前寺公園の参道入口

●行程    水前寺参道→旧細川邸庭園→芭蕉林→水前寺ノリ→上江津湖

●歩く距離  約2キロ(藻器堀川~加勢川沿いに)

●参加費    700円(保険料、資料代、ガイド料)

※小雨決行、公共交通機関でお越しください

連絡先  090-2858-4760(熊本面白倶楽部 永田)

要予約  先着順で30名様(毎回好評で、キャンセル待ちが出ます

準備物  マスク 歩きやすい靴 飲料水 帽子 筆記用具 タオル等

※注意点・・・密にくれぐれも気をつけてご参加ください。秋ですが暑いかもしれません、涼しい服装でご参加下さい。

写真のところが、上江津湖の解散場所です。地下水の大看板を説明して12時頃に終了予定になります。解散場所から電停(八丁馬場)までは約400mほどです。

おにぎりでも持参して、湖を見ながら昼ごはんを食べませんか

 

 

 

江津湖は戦国時代の武将、加藤清正公が造った、河川膨張湖です。この付近は大昔から低湿地帯で米が出来にくい土地でした。そういうところなので、今も西無田、上無田、下無田の地名が残っています。無田とは田が出来にくい土地の意味があります。農家はお米の収量が少ないので非常に困っていました。そこで、清正公は川尻まで右岸側だけ堤防を築きました。そうしたら、どうでしょう堤防の西側は米の生産地帯に生まれ変わりました。堤防の東側は湖になりました。これは江津湖と言われています。清正公が白川中流域に大規模な水田開発をしたので、江津湖や水前寺公園の湧水量が一段と増えたと言われています。

ここは、下江津湖北側のサイクリングロード付近です。梅雨時は度々大雨になり上流から色々なゴミが流れ着きます。ほとんどのゴミは海に流れこむでしょう。一部のゴミが江津湖の湖底に留まると思われます。いろいろなゴミが落ちていますが、ゴミの種類を見ていきましょう。ペットボトル、空き缶、レジ袋、菓子袋、発泡スチロール、等々。人間様がゴミのポイ捨てをやめたら、江津湖もほかの河川も綺麗になることでしょう。渡鹿堰から大出、そして一ノ井手、二の井手、三の井手と用水路が流れていますがどこもひどいゴミです。熊本市民は「命の水」を大切にしょうとする公共心、マナーが希薄なのでしょうか。ゴミの多い江津湖を見るのは辛いものがあります。海もプラゴミ等で海洋汚染が深刻な状態です。

下江津湖の東側から西側を見た素晴らしい夕焼けです。清正公は領民の為に、必死で土木工事を行いました。清正公が「土木の神様」と言われる所以です。我々は、常日頃から清正公や先人の努力に感謝し、河川と水を大切にしていきましょう。将来の地球の為に、そうしなければ、人類に未来はありません。このままでは、大変に恐ろしいことが、地球に起こりそうです。現に恐怖が現実のものになっております。日本列島は春や秋が短くなりました。大雨などの大災害が毎年、頻繫に発生しています。今の夏の暑さは50年前の夏とは全然違いますね。地球が人類にたいして牙をむき出しにしています。地球温暖化をわれわれ一人ひとりが本気に考え、行動に移すときが来ています。地道な行動、実践をしていきましよう


4月26日から天守閣の内部に入れる予定であったが、コロナの影響で延期されることになった。4月26日から多くの観光客で賑わうであろう天守閣内部が待ったをかけられている。非常に残念ではあるが、コロナは人命に係わることなので延期もやむを得ない。人命と言えば、熊本地震では前震も本震もたまたま夜であったので、人的被害はなかった。もし昼間の地震ならば多くのケガ人が出たであろう。今度、完成した熊本城天守閣は非常に地震に強い造りになっている。天守閣にかかる負荷を約3割低減させる装置をいろいろな所に48カ所に設置した。各種の制振装置や耐震装置は7種類にもなる。クロスダンパーや耐震ブレースなどなど。


熊本城は戦国時代の智将である、加藤清正公により築城された。広さはなんと、周囲5.3キロ、東京ドーム21個分の広さを有する。天下人でもない清正公がこれだけ大きい城郭を造れたのは奇跡的と言えるであろう。さて、清正公の熊本城は1607年に完成したと言われている。清正公の熊本城は1877年の西南戦争で焼失した。熊本地震で激しく傷んだ天守閣は1960年に完成したものである。令和3年に出来た天守閣は三代目となる。清正公の天守閣は木造建築なので、重量は軽かったが、2代目は鉄筋コンクリート造で重かった。6500トンとも7000トンとも言われている。では地震にはどんな建物が強いのでしょうか。屋根、頭が軽いほうが強いと言われている。三代目の天守閣の最上階は90トンを60トンに30トン軽くしている。30%以上も軽くするのは大変な技術が必要であったと想像される。大小天守閣の全体の重さは5700トンと言われている。


熊本城は茶臼山という軟弱地盤に築城した。茶臼山は阿蘇の溶岩(阿蘇溶結凝灰岩)が分厚く堆積している。天守閣のある本丸には40m阿蘇溶結凝灰岩が堆積している。この溶岩は弱いので天守閣の基礎杭は47mの深さにいれている。軟弱地盤は一長一短があります。メリットは籠城に欠かせない井戸などの掘削は楽だったかもしれない。だから120基も城内に掘ったと想像する。一方デメリットは何が考えられるか、それは地盤が弱いことです。弱い地盤の上に石垣を造り、その上に建物を造れば地震に強い物にはなりませんね。熊本地震で石垣や建物の被害がひどかったのは地盤の弱さが原因かもしれません。


三代目の天守閣は耐震装置や制振装置を見れるところがあります。これも熊本城の見所の一つです。小天守の穴蔵に井戸があります。ここの井戸には何が溜まっているでしょうか


当日は早くから雨の予報でしたので、参加者は10名ぐらいかな、と考えていましたが、なんと33名ご参加いただきました。また何人かの方から後日連絡があり、「楽しかったです。また参加させてください。」と本当にガイド冥利につきるお言葉を頂きました。さて日本一の地下水都市熊本その代表、シンボルが江津湖です。水前寺江津湖湧水群は平成の名水百選に認定された。平成20年には「日本水大賞グランプリ」を熊本市が受賞した。平成25年には国連の水管理部門で「生命の水」最優秀賞に輝いている。これは恵まれた水を涵養、保全して限りある地下水を後世に守り伝える行政(熊本市など)の取組みが高く評価されたものである。江津湖は熊本城から南東に約5kmの位置にあり、長さ2.5キロ、周囲6キロ、湖面の面積50ha(東京ドーム10個分)の広さを誇っている。加勢川の一部で中央部がくびれたヒョウタン型をした河川膨張湖である。水温は年間を通じて18度ぐらいで、湧水量は昭和37年日量、約90万トン(毎秒10トン)ありましたが、現在は激減し日量約47万トン(2018年の平均)と約半分になった。上江津湖の日量は46.5万トン、中江津湖の日量は約7.4万トン、下江津湖はここ5年湧出ではなく、-7.7万トンで、浸透している状況です(上の画像は加勢川と石畳、いつも川の水はきれいに澄んでいるが雨で少し濁っていた)

夏目漱石の句碑「ふるい寄せて白魚崩れん許かりなり
漱石は明治29年(1896年)第五高等学校の教授として熊本にきています。熊本時代、小説は書かずに九州各地に旅をして多くの俳句を詠んだ。熊本での4年3ヶ月の間に、約1000句の俳句を残した。江津湖でも四手網漁でたくさんの白魚(しらうお)がとれたか。漱石は明治41年2月9日の九州日日新聞に水前寺と江津湖のことを書いている。彼は水前寺公園や江津湖が頗る気に入ったらしくよく足をはこび俳句もたくさん作っている。「湧くからに流るるからに春の水」は漱石が作った約2600句の中で最高傑作と言われている。第五旧居の犬にまつわる、漱石と警官のやりとりは非常に面白い。警官に漱石いわく「うちの犬は利口で人相が良いひとには吠えかかるはずがない、噛みつかれるのは人相が悪いか、犬に敵意があるもので犬だけを責められない」と、妻鏡子さんの後日談によると「ある夜、犬が激しく吠えていた。家に駆け込んだ漱石は顔が真っ青でズボンはやぶれていた」と述懐している(あまり利口な犬ではなかったか「笑い」)

あと200mでゴール地点です。みなさん3キロを「止まっては歩き止まって歩き」されましたので大変だったとおもいます。最後はやっと雨も上がりました。下江津湖に来ました。上江津湖と比較すると色々なところが異なります。広さでは下江津湖が3倍の大きさになります。残念なことですが、下江津湖は湖の透明度が低く、あまり澄み切ってはいません。湧水量が少ないので綺麗な水とは言えませんね。夏目漱石は熊本時代、五高主催の下江津湖でのボートレースに出場している。またレースの審判部長等もしていた。ここで友人と水泳をして、楽しい時間を過ごしたようだ。スポーツマンの漱石にとって江津湖は「命の洗濯ができる、至福のひととき」だったかもしれない。

 熊本市の指定外来魚6種類は、●オオクチバス(ブラックバス)、●ブルーギル、●カダヤシ、●ナイルティラピア、●ジルティラピア、●カムルチー熊本市では、平成27年度に電気ショッカー船を導入して、平成27年度から魚類の生息状況調査を、平成29年度からは、指定外来魚の駆除を始めました。熊本市の条例により、江津湖地域に6種の指定外来魚を放すことはできません。また、釣りあげた指定外来魚は再放流(リリース)も勿論禁止です。そのため、市が指定する回収生簀か、回収箱に入れる必要があります。(因みに駆除で多いのはティラピア)

下江津湖の今昔 南の正面に小さな島が見えますね。あれが下江津湖に元々あった中の島です。上江津湖の中の島は人工の島です。あの中の島に昔、茶店があり、ボートを漕いで渡りかき氷を食べていた。南門からはわかりにくいですが、南東にある島が「竜の鼻」です。元々は陸続きでしたが水の流れが悪いので島になるように切り離しました。

動物園の南門付近で阿蘇溶岩と砥川溶岩の説明 益城町の赤井地区で約15万年前に火砕流噴火した赤井火山の砥川溶岩です。この「砥川溶岩と阿蘇溶岩」によって、熊本は日本一の地下水都市になったと言われています。溶岩が冷えて固まる間に火山ガスがぼこぼこと穴をあけ、水をため込みやすいスポンジ状の溶岩になった。

自噴の湧水を見てください。この「突き井戸」は砥川溶岩層まで掘り、深さは40mといわれています。熊本地震の時はここに行列ができた。私も20年以上この伏流水を飲んでいます。

健軍水源地は特異な水源 動物園の正面玄関の東側にコンクリートの配水池が見えますが、これは健軍水源地です。ここには2池の配水池があり2池で24000㎥をたくわえることでできます。熊本市は日量、22万㎥を供給していますが、その4分の1(66000㎥)をこの健軍水源地だけで賄う能力があります。

取水井戸は11本で7本が自噴井戸です。井戸の深さは39m~60mです。健軍水源地にある5号井は凄すぎる井戸です。一日の自噴量は15000トンで2㍑のペットボトルに換算すると750万本に相当する。小学校のプールに換算すると50杯分になります。6万人の人口ならこの5号井だけで賄える。因みに熊本市水道局は39カ所の水源地と99本の井戸を管理しています(平成29年度末)

 健軍水源地の5号井(深井戸40㍍の深さ)は第二帯水層から水をひいている。第一帯水層(浅い層)と第二帯水層(深い層)の違いは何か、それは圧力がかかっているかどうか。第二帯水層(深い層)は被圧地下水であるが、第一帯水層は不圧地下水である。水前寺公園や江津湖は第一帯水層からの湧水で不圧地下水と言われている。熊本市水道局が管理する井戸の7割は砥川溶岩層に3割は阿蘇溶結凝灰岩層に入れている。

※参加された皆さんのご協力で、ケガもなく無事に江津湖フットパスを開催することが出来ました。皆さんに心から感謝を申し上げます。コロナが終息していれば10月9日(水前寺公園参道スタート)開催したいと考えています。有難うございました。 熊本面白倶楽部 代表 永田

 

 


国指定重要文化財の長塀修復が令和3年1月29日に完了した。長塀は平成28年の熊本地震により、一部が倒壊するなど全長にわたって被災したため、平成28年度に解体を行いました。熊本地震以前に戻すため、平成31年2月から復旧工事を行いました。工事期間は約2年間を要しました。熊本城には13の国指定重要文化財がありますが、長塀が一番目の重文復旧になります。塀の高さは2.4メールの木造塀です。白と黒の242mにも及ぶ長塀と桜がなかなかの風景であります。外堀の坪井川沿いからの景色は絵になります。長塀下のグリーンの芝生を早く歩けるようになるといいですが、まだ先かもしれません。

2015年の台風15号では西側約80メートルが傾き、熊本地震では東側80メートルが倒壊しました。長塀は直線的塀なので台風や地震等には弱いと言われています。下の画像は城の内側から撮ったものです。今度の復旧にあたってはステンレス製の筋違い材(斜めの部材)で補強した。この補強工事により、台風や地震等に耐える力が格段にアップしました。城内の控え石柱を近くで見ることはまだ出来ませんが、坪井川沿いからは復旧が進む熊本城を体感していただけると思います。

長塀がある「竹の丸」は清正公が藩主として入国したころは、大河の白川が流れていた。加藤時代に川を掘りとし、長塀の内側は竹之丸として熊本城を造成工事した。この周辺はもともとは大河で低かったので、17m盛土している。日本の城のなかでは国内最長級とされる長塀は内側から控え石柱で支えられている。石柱の68本のうち、40本は折れたがボルトでつなぐなどして修復した。屋根瓦には細川家の家紋九曜紋が刻まれている。約7割の木材や屋根瓦は元のものを再利用した。長塀は東西に242mの塀である。西側は馬具櫓の石垣と接している。馬具櫓の石垣も痛みがひどいがまだ手が付けられていない。長塀の解体作業を含む復旧工事費は約2億9400万円である。


毎回、大好評の江津湖フットパスを春も開催いたします。今度の4月17日も江津湖フットパスのスタートは県立図書館玄関付近スタートを予定している。いろいろなコースで水前寺江津湖フットパスを開催してきたが図書館スタートが一番人気が良いようである。下の画像は図書館の敷地内にある「希首座の祠」である。細川ガラシャの夫、細川忠興は大徳寺の修行僧を刀で切り殺したと伝えられている。


その刀が下の刀である。細川忠興は刀に希首座(きしゅそ)と命名した。大徳寺の僧を殺したので、怖いことが起こり、流石の忠興も気持ちがわるくなり、この刀を祀るようにしたと伝えられている。そういうことで毎年2月17日に希首座祀として、祀ることとした。


熊本面白倶楽部が企画する江津湖フットパスは参加者の日頃の行いが良いのか、毎回非常に天気がよい。参加者のみなさんが気持ち良くフットパスを満喫されているのがよくわかると思います。

空の色が青空だと江津湖の色も青に見えて非常にきれいに見える。要するに空の色が江津湖に映るのである。

江津湖フットパスにご参加されませんか、非常にたのしいと思います。参加料は700円です。手に入りにくい画像や資料が充実していますので、ボランティアガイドさんには非常に為になるかと思います。毎回キャンセル待ちが起こるほどですので、早めにご予約ください。(予約090-2858-4760)今回の定員になりました。ありがとうございました。次回は10月9日を予定しています。