益城町の震災遺構

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益城町の震災遺構を巡る

益城町震災遺構国の天然記念物に認定された三カ所の震災遺構を、熊本地震で被害が最も大きかった益城町在住の語り部ガイドがご案内いたします。

平成28年4月14日と16日に発生した2回の熊本地震は、観測史上例のない凄まじい大地震となり、益城町を中心として熊本県の多くの地域に甚大な被害をもたらしました。そのとき地表に露出した「地表地震断層」は、学術的にたいへん貴重なもので、国内においても類を見ないものになっています。熊本地震を引き起こしたのは、九州最大の活断層の布田川断層帯や日奈久断層帯である。熊本地震では別府から八代海まで広範囲に余震が続いた。震度1以上の地震は2年間で何と4500回に及んだ。


杉堂地区の潮井神社の震災遺構(杉堂1341番地)

布田川断層帯

熊本地震では震災関連死も入れて270名以上の尊い命が失われた。益城町では45名の人が亡くなった。益城町の住家の被害は1万棟以上で町全体の98%に及んだ。建物の復旧や土木工事等に長い期間がかかると予想される。

潮井神社の上の写真と左の写真をよくご覧ください。神社のすぐ前に神木がありましたが、地震で倒壊しました。神木の真下で地表地震断層の横ずれが発生しました。

横ずれも縦ずれも地面の破壊で、熊本地震の威力、エネルギーの強大さに驚かされる。拝殿までの石段も滅茶苦茶に壊れました。石段の左が倒壊した神木です。

益城町は阿蘇のおかげで湧水の豊富なところです。石段の右側の崖から地震前よりも多量の地下水が湧いています。町には、きれいな地下水を利用して貴重な「水前寺ノリ」の養殖も行われています。


堂園地区の横ずれ断層跡(上陳821番地)

布田川断層帯この画像をテレビ等で見られたかもしれません。、畑地が大きくずれたところです。写真ではクランク状になっていますが、震災前は当然のことながら、あぜ道はまっすぐでした。ずれ幅は最大で2m50cmに達していると言われています。

熊本地震では、畑に約180mにわたり地表地震断層が表出した。地表に地震の断層(破壊)が現れるためには凄まじい力が働かないとおきません。熊本地震では、なんと驚くことに31㎞にわたり断続的に地表に出現した。


布田川断層帯について

布田川断層帯調査の結果、布田川断層帯では2000年に一回、大きな地震が発生していると言われています。堂園地区には大蛇伝説が語り継がれています。今回の地表地震断層は上空から見ると大蛇です。

この写真は、白いガードレールのほうが左に大きくずれています。この地区では建物が7割倒壊しました。北側にある蓮池の水は元々南に流れていましたが、北側が沈下して水が流れなくなりましたので改修工事をしました。この近くに重さ3トンもある石の記念碑がなんと驚く、8mも空中を飛んで落下しました。


谷川は複雑な地表地震断層(福原1770番地)

布田川断層帯

宅地をけさがけ状に走る右横ずれ断層、長さ35m南側は縦ずれ変位は約40cm。家の前を横断する左横ずれ断層は長さ40m、縦ずれ変位は70cmである。東を頂点として、西の方へ広がりVの字にずれている。同じ宅地内の地表に出た地震断層は、国内外でも極めて珍しい貴重なものである。

谷川の断層は共役断層といわれ、多くの専門家から注目されています。共役断層は予期しないところに現れることが多いという。熊本地震の震央、震源地は前震は御船町、本震は嘉島町でした。しかし震度は益城が一番大きかった。それだけ地盤、地震は複雑怪奇ということでしょうか。