熊本市観光

数奇で薄幸な幼少期から少年時代

夏目漱石夏目漱石は本名を金之助といい、慶応3年(1867)2月9日、現在の東京都新宿区に生まれました。幼少期に里子に出されたり、養子に出されたりと度重なる境遇の変化が、彼の人格形成に大きく影響したと言われています。明治22年に漱石は生涯の友となる正岡子規や菅虎雄と知り合い、詩文集にはじめて”漱石”の号を用いました。


漱石は犬好き、愛犬のエピソード

夏目漱石第五旧居漱石と警官の、犬についての話は非常に面白くて笑える。漱石曰く「家の飼い犬は利口で人相がよい人に吠えるはずがない。噛みつかれるのは人相が悪いか、犬に敵意がある者で、犬だけを責められない」と。

妻鏡子さんの後日談によると「ある夜、外で犬が激しく吠えていた、家に駆け込んだ漱石は顔が真っ青でズボンは破れていた。あまり利口な犬ではなかった」と述懐している。


水前寺成趣園と夏目漱石

水前寺公園漱石は生涯に2600もの句を詠んだといわれ、そのうち熊本時代に詠んだ句は約1000句だとされています。水前寺成趣園で詠んだ「湧くからに流るるからに春の水」は漱石の最高傑作の句と言われています。

彼は水前寺成趣園や、江津湖に足繁く通い多くの俳句を作りました。彼は芭蕉が好きで、第六旧居には芭蕉が今も残り「おそるおそる芭蕉に乗って雨蛙」と詠んでいます。


震災後に公開された第三旧居

水前寺公園明治二十九年に第五高等学校(現在の熊本大学)の教師として来熊した夏目漱石。熊本で4年3ヶ月すごし、なんと6回も転居を繰り返しました。

現存している旧居のうち、熊本地震で一般公開されているのは第三旧居のみでした。第五旧居(内坪井旧居)も修復工事が終わり、令和5年2月9日から7年ぶりに一般公開されています。五高の友人との小天温泉行きはこの家から出発。

もともとの第三旧居は大江町にありました。


江津湖と夏目漱石

下江津湖彼は明治29年五高漕艇部の部長に就任して、江津湖で審判もしています。江津湖にたびたび訪れては水泳も楽しんだそうです。

以外にも思えますが漱石はなかなかのスポーツマンで器械体操、弓、水泳は得意と伝えられています。

江津湖で作った俳句を一部紹介してみましょう。「上江津や青き水菜に白き蝶」「ひたひたと藻草刈るなり春の川」「魚は皆上がらんとして春の川」、このように漱石は江津湖で沢山の俳句を作りました。